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サトシのハジマリ

聡は高校卒業後、東京プリンスホテルへ入社、製菓部製パン課に配属されました。
辛くも充実した日々を送っていましたが、一人、二人と先輩方が次のステップに進むため
旅立っていきました。

先輩たちのまねをしても彼らに追いつけないと考えた聡は海外に行くことを選択しました。
もちろん知り合いもいない、言葉もわからない・・・突拍子もないことでしたが、仕事だけではなく、沢山のことが吸収できる気がしてワクワクしました。
1998年1月31日フランスへと旅立ちました。

聡が選んだのはパリなどの大都市ではなく、
ノルマンディー地方の小さな都市CAEN(カン)と言う街でした。

初めての海外。
誰も自分のことなど知らない世界。
言葉の通じない世界。

すべてが自分の想像以上で自分の小ささを思い知る毎日でした。
しかし、ノルマンディーの人たちの温かさに助けられ、少しずつ生活にも慣れてきました。

語学学校に通い言葉を学び、自分と同じように何かを求めてフランスへ来た多くの外国人たちと仲良くなり、いろいろな考え方や価値観を学びました。

友人を訪ね、他の国へ旅をしたり、ヨーロッパを巡る一人旅に出たりとたくさんの経験をつむことができました。

そして、幸運なことに仕事をすることもできました。
フランス・イタリア・スイスに接する標高1000mにある町「CHAMONIX(シャモニー)」です。

モンブランの麓にあるこの町の「SAINT-HUBERT」(サン・ユベール)というパン屋さんで働きました。

小さな町でしたが毎日1000本から2000本のバゲットを焼くほどのお店でした。

夜中の12時から仕事を始め、毎日沢山のパンを焼き続ける日々。

地方の見本市に参加した時には新聞にも取り上げられました。

日本人はあまり見かけない地方だったので皆に可愛がられました。

気の良い仲間と働いたこの期間はとても充実した日々でした。

1999年7月 帰国
もう一度フランスへ戻るため以前働いていた東京プリンスホテルでアルバイトをしていたときに先輩から1本の電話をもらいました。
「フランス料理界の巨匠・三國清三氏が丸の内に新しいレストランを出す。そのレストランにはパン屋さんもあって、パン屋さんのシェフを探している。やってみないか?」
と言うものでした。

色々悩んだ末チャンスだと思い、三國シェフのプロデュースするカフェとレストランの複合店
「ミクニ・マルノウチ」にシェフ・ブーランジェとして参加することを決めました。

若干25歳の聡にはハードな仕事で何度となく挫折しそうになりましたが、
先輩や仲間の助けもあり何とかやり遂げることができました。

1999年12月「ミクニ・マルノウチ」のオープンから2006年6月のクローズまでの6年半。
辛い事ばかりでしたが、大切なものをたくさん学ぶことができました。

その後、四ツ谷にある本店「オテル・ドゥ・ミクニ」に移り約1年半勤めた後、いよいよ独立に向かって準備する為、退職しました。

その後は準備をしながら東京・有楽町にできたホテル「ザ・ペニシュラ・トウキョウ」でオープンから3ヶ月間ヘルプをしたり、インドネシア・ジャカルタにオープンするパン屋さんのプロジェクトに参加したりしていました。

数々の経験をつみ、独立の夢に向かって歩み続けてきました。