Facebook
お問い合わせ

CALVASTORY カルヴァストーリー

モノガタリのハジマリ サトシのモノガタリ ジロウのモノガタリ ハジマリのモノガタリ
ジロウのモノガタリ

二朗もまた父親の影響を受けてパティシエの世界に入ることになりました。
パティシエという仕事に夢を抱き、高校卒業後、兄 聡と同じ東京プリンスホテルに入社、製パン課に配属。

高校まで野球をやり体力には自信のあった二朗だが、あまりのハードな仕事に体がついていけなかったのです。
先輩や自分の同期が次々と辞めていく中、なんとか必死に頑張り、
一年が過ぎ、その後半年が過ぎ、製菓部に異動しました。

数日後、製菓長に呼ばれ「チョコレートのコンクールやれよ」と言われ、気持ちが高ぶりました。
まさか自分がそんなことを言われるとは思いもよらなかったからです。

「このチャンスを絶対にものにしよう!」と考えた二朗はパン屋の仕事を続けながら、先輩方に教えてもらい来る日も来る日もコンクールに没頭しました。

結果、入賞できず、自分の力のなさを思い知ったと同時にパティシエという仕事の魅力や奥深さなどを体感し、生涯この仕事がしたいと思いました。

その翌年、飴細工部門内海杯ジュニアコンクールで金賞を受賞。

この時、父の後を継ぎたかった二朗は町場のお菓子屋さんで働きたいと思い始めていました。

そんな時、先輩である川村英樹氏がフランスから帰国し、「一緒に店をやらないか?」と誘われ、感激しました。

当時、川村氏は二度の世界大会で優勝していて、自分が尊敬する一番の先輩でありました。

2001年11月 吉祥寺に「パティスリーアテスウェイ」のオープニングスタッフとして勤務。

6年弱にわたり本格的にパティシエとしての基礎、ホテルでは学べなかった接客や経営、店作りなど様々なことを学びました。

2007年7月 新たな挑戦として自分を試すため海外フランスへと旅立ちました。

仕事を決めずに渡仏した二朗はパリの知人の家を訪ね、そこでタイミングよく仕事の話をもらいました。
パリ郊外「ボンクロッソン」という静かな町のパティスリーで約一ヶ月働きました。

その後、全土を旅しながら、

ノルマンディーの地方都市 ルーアンにある「パティスリーショコラトリージュリアン」と出会うこととなります。

ここで仕事がしたいと思った二朗はジュリアン氏を訪ねました。
しかし、当然簡単には受け入れてもらえず、断られました。
その二日後、もう一度頼みに行ったが、ここでも断られ、それでも諦めず、その三日後もう一度訪ねました。

そこでシェフが初めて話を聞いてくれることとなり、片言のフランス語で自分の思いをぶつけ外国人初のスタッフとして迎え入れられることとなりました。

始めは鉄板拭きや洗い物、型の準備、りんごの皮むきなど見習いの仕事をやり続ける中、二朗はいつチャンスが来ても大丈夫なようにシェフの動きや周りの仕事を観察していました。

勤務から一週間後、シェフに「jiro、飴細工はできるか??」と聞かれ、「日本でやっていた」と答えると、
シェフの口から「何か作ってみろ」と言われ、一日ルーアンの町を歩き、イメージを固め飴細工を作ったところ、その技術をシェフに認められ翌日からマカロンやショコラなどとても重要な仕事をまかされることとなりました。

ちょうどその頃、鈴木謙太郎氏が南仏プロヴァンスでの修行を終え、ルーアンで二朗と再会することになりました。(写真48)その後一ヶ月間二人は近い将来実現するであろうお互いの夢について毎晩深夜まで語り明かしました。

私生活の方でもようやく海外生活に慣れ始め、職場以外でも多国籍の友人に恵まれ、その国々の文化の違いなど日本に居た時には体験のできない貴重な時間を過ごすことができ、人間的にも大きく成長することができました。